御召の由来は江戸時代に十一代将軍家斉が好んで着用したことに始まります。つまり「将軍のお召物」ということです。正式には御召縮緬といい、通称「御召」となりました。ゆえに男物が始まりです。のちに女性も着るようになり、また定紋等も織られるようになり、紋御召が発達していきました。
明治時代になると一般の人々も紋御召を着用するようになります。明治期は御召こそ正装。戦前までは「御召」と言えば「いい着物」と言ったくらいです。
戦後、昭和30年代に世の中が戦争から復活してきた頃、御召は西陣をはじめ各産地で盛んに織られるようになりました。この頃の御召にお洒落模様が多かったことから、御召は「正装ではない」と思われるようになったのです。そして、御召が雨や水分によって縮みやすいがゆえに、だんだんと着用されなくなり、現在では僅かの生産数です。最近少しですが、西陣御召ブームのような気がします。
しかし、西陣で織った着物がすべて御召ではありません。西陣において御召というには一定の制約があります。
- お召緯(=八丁撚糸)を使用すること。お召緯とは、1メートルあたり2000〜3000回転の撚り糸のことです。
(甘撚り糸…300回以下、並撚り糸…300〜1000回、強撚糸…1000回以上)
- 同じ回転数の撚りをかけた、右撚り(S)のお召緯と、左撚り(Z)のお召緯*1を交互に2回ずつ、右右、左左と織ります。そして織上がりの後に湯の中に通して「シボ」を出し、「手もみ」しながら巾をそろえて乾燥させるのです。
(乾燥には自然乾燥、機械乾燥の2つのやり方があります)
- 白生地を染めるのではなく、染めた糸で織り上げたもの(=先染め)であること。
これらの条件にて製織している「御召」は、西陣でも2〜3軒のメーカーのみです。
御召の種類としては、「風通御召」「月華御召」などがあります。
西陣織は分業により成立しています。各工程においての職人が減っているなか、やむなきこともありますが、「御召」というのなら、これらの条件を満たすべきと思います。後染めもの、専門用語になりますがガッチン*2のものは、果たして「御召」と呼べるのでしょうか・・・?
御召の良い点は、右撚りの糸と左撚りの糸が同数入っているために、シボの高さが一定であるところにあります。ゆえに着用した時の「さばき」がいいのです。だから将軍様にも好まれたのでしょう。
一方、縮緬のほうはというと、目的により撚り数の異なるものをいろいろに使用して風合いをつくります。ゆえにシボの高さが複雑なのです。
帛撰は今でも、御召は正装と考えています。西陣は明治になるまでは帯は織っていませんでした。いわゆる「御召」をはじめ、「着るもの」を織っていた産地です。その織技が、今の帯を織る基礎となっているのです。
(御召、左より)
「訪問着 月華御召 花樹獅子人物文」
「訪問着 風通御召 舞楽図文」
「着尺 風通御召」
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