京都西陣 株式会社帛撰(はくせん) hakusen
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「袋帯 羅夾纈」

「袋帯 羅夾纈」
手織り 夾纈

今月ご紹介する袋帯は、羅という織技と、夾纈*1という染色技法を駆使した作品です。今回はまず「羅」についてお話します。

西陣で織られる羅は主に「紋羅」といい、これは二千年前の前漢代に完成た織物です。菱の紋のあるものを「有紋羅」、ないものを「無紋羅」といいます。

羅は現在きものの本などには、しばしば夏物の項に掲載されています。しかし本来、羅は夏物ではなく、「薄物」とされていました。
上代裂*2に残る羅の裂は、幡*3や袈裟であったもので、どちらも夏物ではありません。
また、平安時代以前の公家の烏帽子。夏物の烏帽子は羅の生地に薄くのりをして張りを出してつくります。冬物の烏帽子は羅に裏打をして、漆で固めます。故に表面に羅の生地は出ません。それでは何故羅を使用するかといえば、その時代、全ての染織のなかで羅が最高級のものとされていたことから、貴人の頭にのせるものは、すなわち羅であったのです。

現在も天皇の使用する冠は羅です。正倉院に残る羅の袈裟も大僧正のみが着るものでした。もちろん夏物ではありません。
表装屋さんの間でも軸に使われる表装裂の中で「一文字」の部分に羅が使用されていれば、中味は鑑定する必要がないと言われているほどに、羅は最高級品でした。故に“一張羅”の語源ともいわれています(一張羅は一挺蝋の転との説もあります。)

それでは何故、羅は夏物とされるようになったのか?
羅の織技は平安時代末期で絶えました。以後世の中にはなくなり、手にすることはなくなります。もちろん法隆寺の羅も、東大寺正倉院の羅も、一般の人は見ることができません。明治になりようやく公開され、羅をはじめ色々なものを見ることができるようになりました。
その時西陣の職人さんが羅の復元に挑戦しましたが、当時の技術では目の粗い羅しか織ることができませんでした。それ故、羅は夏物になったものと思われます。
古文書にも羅の文字が出てくる時はありますが、「薄物」の解釈であって、夏物ではありません。

なお、紋羅において地紋としては菱の文様しかできず、今でも手織りでのみ織ることができる組織といわれています。羅は夏・冬を問わず、透ける優雅さ、色気を味わうものでしょう。

*1夾纈:きょうけち
奈良時代に行われた染色法。夾纈については別の回でご紹介します。
*2上代裂:じょうだいぎれ
古代裂のひとつで、飛鳥・天平時代の裂地のこと。法隆寺裂、正倉院裂がその代表。中国よりもたらされたものと、日本で織られたものとがあります。
*3幡:ばん
幡とは、天上から吊り下げる寺院装飾物で、仏殿の内外や法要の場などに飾られた。重要な荘厳具であるがゆえに、当時製織できる最高級の羅や錦が用いられたものと考えられる。


(2009年1月)

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「羽織 羅夾纈」
こちらは袋帯ではなく、羽織です。羅夾纈の作品のひとつで、こちらのほうが織としてはより密度が高く、細かいものです。

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