ゴブラン織という名は、フランス王・アンリ4世(1553〜1610)により創設された織物工房が、その後ルイ14世(1638〜1715)の時代にゴブラン家によって管理され、その工房において盛んに織られたことに由来しています。この時代はタピストリーが多く織られました。素材は綿・毛・絹などさまざまです。
ゴブラン織は日本にも輸入されていました。京都・祇園祭の鉾を飾る装飾品として、それから400年も経った今でも用いられています。鶏鉾の“見送り”や函谷鉾の“前掛”は特に有名。重要文化財に指定されています。
当初のゴブラン織は綴織*1と同じ技法でした。緞帳などから想像できるように、綴織は非常に手間がかかり、高価なものです。
それゆえ19世紀中頃になると、同じ工房において紋織*2の技術が確立されました。ほどなくこの技法は西陣にも伝わりました。現在西陣で言われるところの「ゴブラン織」はこの技法によるものです。今では見かけることが少なくなりましたが、最近まで布のカレンダーで、上半分が織り上げられた絵画、下半分が12ヶ月の暦になっているものがよくありました。これが西陣のゴブラン織の典型。今月ご紹介するゴブラン織による訪問着も同様です。
西陣のゴブラン織は、以前紹介した経錦*3と、その織技が非常によく似ています。経錦は、たとえば経糸が3色であれば、その3色のうちで必要な色糸(経糸)のみが表
面に出て、緯糸は表面に出ません。経糸でもって文様を表現します。一方ゴブラン織は経糸3色、緯糸3色を利用するとすれば、3×3の9色の色相でもって文様を表現します。
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