経錦*1と緯錦*2。この二つは上代裂の中でも代表的な錦です。
先月お話したとおり、中国前漢代(紀元前202年〜8年)頃から錦の中心的存在であった経錦は、時代が唐代(紀元618年〜907年)へ入る頃より途絶えてゆき、錦の中心は緯錦へと変化していきました。そして現代においても錦といえばそのほとんどが緯錦です。
経錦が小さい文様が生地巾の中で横に並んでいるのに対し、緯錦は生地巾の中に大きな文様を織り出すことができます。また緯錦は多色使いの文様を表現することが可能です。
おそらくこの唐代の頃から経糸の開口技術が急激に発達したのでしょう。現在は同口に何十色もの絵緯*3を織り込むことが可能ですが、当時は経糸(たていと)の上下開口技術は乏しく、ゆえに多色使いの織物を作ることは非常に困難でした。
所は変わり日本、時代は下がって平安時代(794年〜1185年)の「有職文」もまた、地色共の二色上りのものがほとんどです。日本では室町時代に唐織が発達し、ようやく多色の織物が作られるようになりました。過去に紹介した唐織、朱珍、すくい、袿錦(袿錦は商品名)もすべて「緯錦」に当てはまります。
話が変わりますが、有職文様を織り込む公家装束は、子供の時は小さい文様で、年齢が増すにつれ大きな文様となり、30〜40歳になると生地巾に一紋ほどの大きさ(一つの有職文が生地巾いっぱいの大きさ)になります。
つまり緯錦の発達によって、大きな有職文様を施した装束を織り上げることが可能となり、公家の年齢に応じた自己主張を可能としたわけです。
文様の大小は自在、絵緯の色数も自由――だからこそ「緯錦の時代」へと移り変わっていったのです。
*1経錦:たてにしき、詳しくは先月のギャラリーをご覧ください。
*2緯錦:ぬきにしき、イキン
*3絵緯:えぬき、地の緯糸(=ぬき糸、よこ糸)とは別に、文様を織り出すため織り込む緯糸。色糸。
(2008年7月)
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